金色のキラメキ

チラ裏です

最近思ったことについて。

 

 昨日(2021/07/05)、ジャンプ+で後悔された読切漫画『腐女子除霊師オサム』がTwitterで話題になった。普段はなるべくバズった話題に触れないようにしているのだけれど、たまたま気になって開いてみたら、案の定嫌な思いをしたのでこれからも積極的にバズっている話題を踏むのはやめようと思う。

 

腐女子除霊師オサム - ゲタバ子 | 少年ジャンプ+

 

 これを読んで最初に出てきた感想は「倫理的にアウトでは?」「令和の作品とは思えない」だった。腐女子という言葉は蔑称であるため使うべきではないという話題は何度もネット上で上がっているし、春山さんがBL愛好について「ニッチな趣味もあったもんだねぇ」と言うとこにも嫌な感じがある。また、この作品は主人公に限らず「陽キャ」「陰キャ」「ギャル」というレッテルでプロトタイプ的に人間を描いている部分があると思う。

 そして、主に騒がれているバトルシーン(?)について。主人公のオサムが「逆カプ者」の霊と気がすむまで殴り合って最後には成仏しハッピーエンド、という流れ。これは私の個人的な感情になるけれど、カップリングは宗教、逆CP者は敵というノリや風潮が嫌いだ。理由は二つある。

 

①私はBL愛好家で夢女子でヘテロカップリングもブロマンスも愛するオタクだけれど、必ず性行為を伴って欲しいとは思わないため、そこに居場所がない

②逆CPが嫌いだから、許せないからという理由で殴り合うことが肯定される社会なんかクソ食らえと思う

 

 もちろん人間誰しも許せないものやどうしても嫌いなものがあってもいいとは思う。でもこの多様化が求められる社会において逆CP者を殴り合う文化は果たしてお互いの主義主張を尊重し合えているのか?と思う。トマトが嫌いならトマトが入っていない料理を食べるかトマト料理のお店を避けるのが普通であり、トマトが好きな人間を攻撃することではないだろう。

 私自身が上記の通り苦手の少ない人間だから、見たくないものが多い人に対する「自衛しろ」という圧力の苦しさはわからない。だから私のこの意見も無自覚に他人を踏んづけている可能性はあるなと思いつつ、それでもこの世に自分の苦手なものが存在する事実は変えられないのだから、自衛した方が早いよと言いたい。

 あと、これは私が同人文化に触れてまもない頃目にした言説で今も大事にしている考え方が「オタクなら解釈で殴れ」です。理解できない解釈違いや逆CPをdisるんじゃなく、自分の主張があるならペンを取れよと。実際現実ではこれが主流だと信じていたんですが、件の漫画を読んで、もしかしてこれが未だに蔓延っている社会なの?と軽く絶望した。

 

 以下は漫画の感想じゃなく、私個人が同人について考えていることです。

 ↑の①で示したように、私はカップリング主義にうっすら居心地の悪さを感じている。これまでも同人イベントにおける分類がカップリング・特定キャラ中心・オールキャラのみであることに疑問提起をする人はいたけれど、現状大きく何かが変わった訳ではない。

 同人イベントにおける分類の多様化に消極的な意見の一つとして、細分化されると閲覧性が下がる、分類の利便性が下がる、みたいな考え方をする人がいるけれど、それは違うと思う。解釈違いや逆CPの話にも繋がるけれど、それは今までカップリングのみの分類で特に困らなかった人だから言えることであり、現状困っている人のために分類の細分化が必要だという話なのだから。

 私はできれば、性行為を伴わない2人の関係性を好む人々のための分類が欲しいと思う。そこに恋や愛があってもいいし、親愛や友愛があってもいい。カップリングの表記性質上、どうしても左右が生まれてしまうのが嫌で、リバというわけでもないからどう表記するかについてはいい方法が思いつかないけれど。

 私が今思っていることとしてはこういう感じです。他にも居心地の悪さやなんとなく違和感がある人の気持ちを聞けたら嬉しいので、よければ教えてくれるとありがたいです↓

 

is.gd

 

終わり